「向日葵の丘」映画が完成しても、映画館で上映するのに1年待ち?ーー後編



映画公開で大切なことは完成してから出来るだけ早い段階で映画館上映がスタートすること。それがヒットにつながる。だから、撮影前のキャストやシナリオ等で映画館側が判断。上映を決めてくれれば、完成直後に上映が可能となる。

だが、映画館側は「完成したものを観ないと何ともいえない」と言う。完成してから試写を見せて気に入れば上映が決まる。が、その段階から1年後の上映が普通だ。撮影でその映画が話題になり、マスコミで取り上げられたりして、「早く観たいー」という人が大勢いても、その人たちが映画の存在を忘れる1年後にしか公開されないのだ。

理由は先にも書いたが、多くの映画が製作され、上映待ちの映画が多いから。というのがひとつ。そして、どんな今旬の映画でも、順番待ちをせねばならない。「朝日のあたる家」のときも、ネットが逆炎上するくらい「観たい!」という声が上がり、各地の映画館に「朝日、上映してほしい」というリクエストが殺到したのに、東京の映画館は8ヶ月後なら...という返事だった。映画館はそんなお役所的な対応しかしない。

もうひとつの問題は映画館は基本的に大手映画会社の作品を優遇するということ。東宝、松竹、東映という大手は、春休み、ゴールデンウィーク、夏休み、正月休み期間を毎年押さえていて、その期間に外部、独立プロの作品は絶対に入れないのだ。どんな素晴らしい作品でも、話題作でも、今旬のものでも、一切アウト。大手を優遇する。

それら大手の作品がどんな作品で、誰が出ていて、当たりそうかどうか?も分からないのにスケジュールを空けているのだ。つまり、大手でない映画は1年の内、それ以外の期間でないと上映してくれない。あるとき、「夏休みが終わった9月はどうですか?」と交渉した。答えは「大手の映画がヒットして続映になることもあるので、空けてあり、他の作品は入れることができません」

ため息。そこまで大手の映画を優遇するのか? そんな大手の作品は毎回、どれだけの利益を映画館側にもたらすのか? そんなことに関係なしに、映画館は大手のために長期間、スケジュールを空けておくのである。

そうなると、残った数ヶ月しか外部作品は上映できない。そこに何百本の映画が申し込みをする。結局、上映が1年後になる。どんなにヒットする映画でも、話題作でも、申し込み順にしか上映しない。先にも書いたが、やりくりすれば今旬の映画を早めに上映することは可能なのに、その努力をしない。

ひとつには映画館に系列があった時代。東宝映画は東宝の映画館で上映。松竹は松竹で。という時代。本社が作った映画を直営店は上映するだけ。「どの作品がヒットするかな?」と選ぶ立場ではなかった。が、今はシネコン。系列が崩れて映画館は作品を選べる立場にある。にも関わらず現場は本部が決めた映画をただ上映するだけなのだ。



現場の努力で別の映画を入れることは可能なのに、本部からの指示通りに動くだけ。物申したり。提案したりはしない。現場のことは現場が一番知っているのに本部の指示に従うだけ。あれ? 何だか映画館以外にもいえることだと思えてきた。
以前に、孫正義さんが「日本の企業はもうアジアで勝てない」という発言に絡めて僕の持論を書いたことがある。そのときに指摘したことが映画館にもいえるようだ。

日本の教育は「与えられたことを確実にこなせるようになる」ことが目的。自分で考えたり、指示に疑問を持ったりしていけない。つまり日本の教育は優秀なサラリーマンを育成するためのもので、その成果が上がり経済大国となった。が、バブル崩壊以後、与えられたことをやるだけのロボット社員では今の時代を生き抜くことができない。

だから、孫さんが言うように、日本企業の不振が続いているのだ。映画館業界も同じではないか? 上から言われたことをやるだけ。今旬の映画をいち早く公開すれば儲かる。なのに、「夏休みは大手が...」「空いている期間は順番待ちがあって」と儲かるチャンスをみすみず逃している。

「考える」という行為をしていない。これはもうビジネスではなく、お役所仕事。役所はそれでいいが、映画館はそうはいかない。だから、どんどん潰れる。努力をしていないからなのだ。同じように、日本企業がダメなのも、バブル時代に楽して儲けてから努力をしていない。あるいは現場を分からない上の人たちが現場に無理を押し付けている。現場も努力せず、いわれたことをしているだけ。

資本主義社会でそんなことが通るわけがない。もっと言えば、もう現代では通用しないルールや方法論を上の人たちが現場に押し付けているということ。時代のスピードについていけず、古い価値観を今も振り回しているということなのだろう。そして、現場に決定権を与えず、儲かるチャンスを逃し。「不況でダメだなあ」とボヤいているのではないか?

いい映画をいち早く公開すれば、映画はヒットする。映画館も儲かる。でも、旬を逃せば、映画はヒットしない。映画館も儲からない。上映依頼をすると、「作品を見てから」と内容を吟味するのに、それから1年後に上映してもヒットするわけがない。そこが映画界最大の問題点のひとつなのだ。

こうなると自分で映画館を持つしか方法がないように思えるが、それは莫大な費用が必要で、さすが無理だ。が、この問題を突破しないと、どんなにいい映画を作っても、多くの人に見てもらうチャンスを潰されてしまう。なんとかせねばならない。「向日葵」も例外ではない。厳しい状態にある。




  

2015年03月22日 Posted by クロエ at 07:40Comments(0)映画の話

映画「ゴーンガール」。真実が伝わらないもどかしさ。人々の愚かさ。



映画「ゴーンガール」。真実が伝わらないもどかしさ。人々の愚かさ。

先日、デビット・フィンチャー監督の新作を見た。「セブン」「ゾディアック」と問題作を撮り続ける人なので今回も注目。そろそろ上映も終盤なので、多少の中身を書く。これから見る人は読まないように。

毎回、フィンチャーの映画はまるで悪魔がほくそ笑みながら「人間なんて愚かなものよ」というような、テーマを感じる。今回もまさにそれだ。物語の前半は行方不明になった妻を探す話だが、次第にいろんな事情が分かってくる。そして妻探しのミステリーから、妻が計画した夫への復讐物語となっていく。

最初は妻が行方不明。悲劇の夫としてマスコミに報道される。が、やがて浮気をし妻を殺したと非難される全米1の悪辣な夫となる。それで終わるかと思いきや、妻の方にトラブルが起こり、計画を完了できず、さらなる展開があり、妻は夫の元に戻る。が、夫は全てを知っているが、最愛の妻が戻ったという芝居をせねばならなくなる。

興味深いのはその2人を取り巻く人々。アメリカ国民の反応。最初は「同情」そして「非難」「誹謗中傷」そして最後は「祝福」「賞賛」しかし、国民は誰も真実を知らない。テレビ報道やワイドショーで伝えられる上辺だけを見て、自分とは何の利害もない夫婦を応援したり、批判したり、賞賛したりしている。マスコミに振り回され、現実を見ていない。

これは今の日本も同じだ。実際は金持ち優遇策でしかない、何とかミックスをマスコミが「経済がよくなる」と伝えると多くが支持してしまう。そもそもの発端を知らず「悪いのはテロリストだ!」と憤る人たち。正確な情報や現実を知らず、マスコミの報道を鵜呑みにして、怒ったり、賞賛したりする。「ゴーンガール」に登場する人々。アメリカ国民と同じである。

フィンチャー監督はまさに、それを描きたかったのだと思える。人間の愚かさを悪魔があざわるように「お前ら何も分かってないくせに、愚かな...」と言いたいのだろう。それは凄く分かる。映画作りも同じで、例えばあまりにアホなスタッフがアホなことをして、製作を妨害し製作中止の危機を迎えたとしても、それを理解しない人たちがいる。

「ゴーンガール」で描かれたように「妻が家出したのは夫の浮気のせいではないか?」「邪魔で殺したのではないか?」と邪推する人たちと同じで、何も知らない人たちが、見た目や聞きかじった情報で、アホな者を庇ったり、支持したり、賞賛したりして大混乱することがある。

誰に問題があるのか? 何が問題なのか? 誰に責任があるのか? その真相を見つめることなく。表面的なことだけで判断。そんな人たちがよりトラブルを大きくする。フィンチャー監督も映画製作で同じ思いをした経験があり、今回の題材に興味惹かれたのではないか?とさえ思える。

表面だけ見て「酷い」「許せない」「裏切られた」と憤ることがあるが、それはある種の人たちの思う壷であったり、事実と違うことで罪なき人を攻撃し、本当に責任ある者を野放しにしてしまうことに繋がる。そんなことを感じさせる作品。興味ある方はぜひ。



  

2015年02月02日 Posted by クロエ at 22:46Comments(0)映画の話

「向日葵の丘」 「思い出のマーニー」を見て



ようやく、少しだけ時間ができて。映画館のそばを通ったときに「何か見よ!」と思い時間割りを見たら、この映画になった。ストーリーは全く知らない。ジブリの最後の作品と言われている。真っ白な状態で見た。

後半、何度か涙が零れた。素敵な、心の染みる物語。今までのジブリとは全く違う感動ストーリーだ。そして感じたのは今、仕上げ中の「向日葵の丘」とダブる場面がいっぱいあったということ。

その前に見た「アナと雪の女王」もそうだったが、ディズニー&ジブリという二大大御所アニメスタジオの作品が同じ方向で映画を作っていることに驚くと同時に、時代はこの方向に進んでいるのだと思えた。

もう、そろそろ、公開終了だが、チャンスがある方はぜひ!
  

2014年09月21日 Posted by クロエ at 23:07Comments(0)映画の話

「向日葵の丘」助監督、残酷物語⑤ 作品批判は簡単。ゼロから作るのは死に物狂い?



思い出したのが、シナリオ学校でよく講師がいう台詞「お前のケツを見せないと、いいシナリオにはならないんだよ」「上品ぶってて、いいシナリオは書けない」そんな言葉。そういうことなのである。

よくよく話を聞いてみると友人が作りたいのは「スターウォーズ」的作品ではなく、何だか暗い、70年代の日本映画のような作品のようだった。彼は10代から映画界に入り仕事をした。だから、映画には詳しいが映画以外の経験がない。自分が作るべきものと出会うことがなく、劇場で見た「スターウォーズ」が自分の作るべき作品と思ってしまったのだ。

ある小説家がいった言葉だと思うが、「最初は身近なことを書け。そして文章力がついてきたら、調べて書け。そうすれば、伝わる物語が書ける」まさに、その通りなのだ。とにかく、描かないとうまくならない。描かないと、自分が進むべき道が見えて来ないのだ。友人の助監督にはそんな話をしたが、彼は途中から

 「そーですかねえ?まあ、そういうこともあるかもしれませんけど」

 とか、納得していない反応が多かったが、やはり、現場一筋の彼に、「物語を作る」感覚を伝えるのはむずかしい。僕の話は、その後輩に伝わったのか? どうか?「オレは諦めずに、描きます」といって帰って行った。

それから数年。彼はシナリオを書き上げたのだろうか? 物語を作るというのは大変なこと。撮影現場での努力とはまた違う。映画ファンや現場のスタッフが陥りがちなのは、映画を見ているだけで、批評している内に、自分が書けばもっといいストーリーになるのにと錯覚すること。

批判は簡単。ゼロから作るのは死にもの狂い。音楽でも、漫画でも、絵でも、創作活動は皆同じ。友人の助監督はまだそれを実感していない。それに気づくことが創作のスタートラインなのだ。(了)



  

2014年09月16日 Posted by クロエ at 19:23Comments(0)映画の話

「向日葵の丘」助監督、残酷物語④ 脚本を書くことを甘く見ているスタッフ



 若い友人は、僕より若いといっても、それなりの歳。助監督を10年以上続け、もうベテランだ。が、脚本家ではない。脚本を10年書き続けてきた訳ではない。その彼がいきなり脚本を書こうというのだから、それは凄い挑戦。簡単に書けなくて当然。というのがまずある。

 逆にいうと脚本家が「助監督になる!」というのに近い難しい戦いだ。そういうと、業界の友人たちは「それは無理だよ。ライターがいきなり現場で仕事はできない」その通りだ。が、なのに、助監督が脚本を書くというと誰も驚かない。むしろ、「がんばってるなあ」と応援。評価する。無謀なんて言わない。

 が、実は脚本家が助監督に転身するのと同じくらいに大変なことなのだ。現場スタッフ。よく勘違いすること。シナリオを読んで「これは酷いなあ。本当にプロかよ?」とか平気でいう。中には「オレが書いた方がマシだな」と言う人もいる。
助監督や監督だと、自分で書き直し。

 「オレが直さなければ、最悪の映画になっただろう」

 と誇らしげに言う。だが、大切なものを見落としている。どんな酷いシナリオでも、ゼロから生み出した作品。(もちろん、原作ものもあるが。だとしても同じ)
できたものを見て直すと、ゼロから生みだすのとでは全くレベルが違う。それを多くの監督や助監督はシナリオを直しただけで

 「オレが良くしてやった」

 と自分の方がシナリオが書けるかのような錯覚をしてしまうのだ。同じように、企画意図だけ与えられて、その脚本家と監督がシナリオを書いていたとしたらどうなったか?たぶん、監督の方がより酷い脚本になっていたはず。でも、そんな勝負をすることはないから、直しをしただけで

 「オレはシナリオが分かっているからなあ」

 「自分は書ける」と勘違いしてしまうのだ。厳しいことを言えば、その友人もその一面がある。それでも書こうとしたことは評価するが、その勘違いが壁となり、彼は満足するシナリオが書けなかったのである。

 (つづく)



  

2014年09月16日 Posted by クロエ at 19:21Comments(0)映画の話

「向日葵の丘」助監督、残酷物語③ 物語を作るということ?



「なぜ、ルーカスが作るような物語が書けないのか?」

 助監督を続ける友人はシナリオが書けず、悩み込んでいた。で、そのルーカスが勉強した大学。USC映画科で学んだ僕に相談して来た。これまでの話を聞き、さらに彼が作りたいという映画のストーリーを聞いた。それで分かったこと。

 まず彼は「スターウォーズ」みたいな映画を作りたいという思いはあるが、具体的に、こういう主人公がいて、こういう世界で、こういう事件が起きてというアイディアがない。ない。というと、語弊があるが、彼が書いたシノプシスを読むとスターウォーズ」の亜流。或いはマネという物語でしかない。

 若い友人が偉いのは、それに気づいていることだ。だから、「これは違う」「こうじゃない」と悩んでいるのだ。では、どうやったら、斬新な、物まねでないストーリーができるのか?いや、彼の場合。その前の段階がある。そこを見つめなければ、映画はおろか、物語を作る、シナリオを書くなんてことはできない。

 それは...まず、物語を作るということ。映画のシナリオでも、小説でも、漫画でも同じ。頭で考えて書くものではない。よくシナリオ学校にいくと、テーマを決め、登場人物を決め、設定を決め、事件を考えて、展開を考えて箱書きという奴をして、それからシノプシスにして、ようやくシナリオにする。

 登場人物は個性がなければならない。とか、いろいろと講師はいうもの。その方法論で友人も物語を作ろうとしたのだ。それは間違いではない。が、そんなふうに机の上で考えて、物語はできない。物語はそんなふうにパーツを作り、はめ込んで行くものではない。

 あえていえば、化石を掘るようなもの。ここに何か埋まっている。恐竜か? マンモスか?それをまわりから掘って行くと、おーーーーチラノザウルスかも? いや、ベラキラプトルだ。ってなものだと考えるのだ...(つづく)



  

2014年09月16日 Posted by クロエ at 19:19Comments(0)映画の話

「向日葵の丘」助監督、残酷物語②シナリオが書けない!



 若い友人は悩んだ。「オレは長年助監督をしてきて、撮影現場のことは熟知している。有名監督とも何度も仕事をして、演出技術も学んだ。自主映画出身の監督たちを見ていると、ほんと勉強不足でろくに現場をまわす技量もない。

 あんな連中に比べれば、オレの方がずっと監督として、いい仕事ができるはずだ。問題はチャンスだ。今の日本映画は漫画原作が主流。でも、それは嫌だ。やはり、オリジナルで勝負したい。なのに、シナリオが書けない......」

 ということで、まずシノプシスを書くことにした。いわゆる粗筋のようなもの。主人公の設定を決め、物語を作り、事件を考える。が、何か違う.........,何かしっくり来ない。で、友人の脚本家に相談。自分が考えたことを話。物語としてまとめるように頼んだ。ちゃんとギャラも払うと約束。数週間後。彼のアイディアはシノプシスになって上がって来た。

が、やはり、何か違う。問題点を脚本家の友人に指摘。直しを頼む。1週間後。上がり。読む。やはり、違う。さらなる問題点を指摘。直し。ま、シナリオ作りとはそういうものなのだが、実は彼には大きな問題点があった。が、脚本家の友人もそれには気づかず。2人は作業を続けた。

 半年経ったが、友人が満足するものはできず。脚本家はとうとうギブアップ。友人はまた1人で書くことにした。映画作りとは、こんなことを何度も繰り返してシナリオを作るのだが、それとは違う。大きな間違いがあり、彼のシナリオは前に進まなかったのである。

 (つづく)




  

2014年09月16日 Posted by クロエ at 19:16Comments(0)映画の話

「向日葵の丘」助監督、残酷物語① 目指すは「スターウォーズ」だ!



 昔、映画会社全盛のころは10年ほど助監督をすれば、やがて監督になるチャンスをもらえて、2本立ての1本を監督させてもらえるという習慣があった。が、それも崩壊。助監督を10年続けても、20年続けても、監督になれる補償はなくなった。

 だから、今の助監督たちは大変。長年助監督をして、そろそろかな?と思っているとプロデュサーが助監督経験のない、自主映画出身の監督を連れて来てしまう。助監督経験があると、監督には相応しくないかのような言い方までするらしい。ま、確かに今、監督として活躍しているのはほとんどが自主映画経験者で、長年助監督経験をして...という人は本当に少ない。

 そんな中で監督を目指し、助監督を続けている若い友人(といってもあまり若くないが)がいる。彼が助監督を始めたころは、まだ助監督出身の監督がいたのだが、時代は変ってしまった!でも、諦めないのは彼の偉いところ。自分でシナリオを書き、プロデュサーに認めさせて監督デビューをしようと考えたのだ。

 若い友人はしばらく助監督業を休み。彼は前々から考えていた物語をシナリオにすることにした。ハリウッド映画。日本映画より、やっぱりハリウッド映画が好き。暗くて、陰気な日本映画(70−80年代の日本映画はまさにその通りだった)は嫌明るくて、豪快で、前向きな、ハリウッド映画のような作品を作りたい。目指すは「スターウォーズ」だ!

 もちろん。日本映画でそんな予算はかけられないが、昔、映画学校のシナリオクラスで学んだ通り。「予算など考えずに、イマジネーションを広げて、好きに書くことが大切」という先生の言葉を思い出し、パソコンに向かった。が、なかなか、ペンが進まない。いや、パソコンなので、キーが進まない(?)

 「スターウォーズ」だけでなく、「インディジョーンズ」や「バックトウ ザ フューチャー」も大好き。そんな物語を書きたいのに、なかなか、書けなかった。その理由が分かるのは、ずっとあとのことだが映画監督になるための、最大の問題点だったのである。

 (つづく)



  

2014年09月16日 Posted by クロエ at 19:14Comments(0)映画の話