「向日葵の丘」助監督、残酷物語④ 脚本を書くことを甘く見ているスタッフ

若い友人は、僕より若いといっても、それなりの歳。助監督を10年以上続け、もうベテランだ。が、脚本家ではない。脚本を10年書き続けてきた訳ではない。その彼がいきなり脚本を書こうというのだから、それは凄い挑戦。簡単に書けなくて当然。というのがまずある。
逆にいうと脚本家が「助監督になる!」というのに近い難しい戦いだ。そういうと、業界の友人たちは「それは無理だよ。ライターがいきなり現場で仕事はできない」その通りだ。が、なのに、助監督が脚本を書くというと誰も驚かない。むしろ、「がんばってるなあ」と応援。評価する。無謀なんて言わない。
が、実は脚本家が助監督に転身するのと同じくらいに大変なことなのだ。現場スタッフ。よく勘違いすること。シナリオを読んで「これは酷いなあ。本当にプロかよ?」とか平気でいう。中には「オレが書いた方がマシだな」と言う人もいる。
助監督や監督だと、自分で書き直し。
「オレが直さなければ、最悪の映画になっただろう」
と誇らしげに言う。だが、大切なものを見落としている。どんな酷いシナリオでも、ゼロから生み出した作品。(もちろん、原作ものもあるが。だとしても同じ)
できたものを見て直すと、ゼロから生みだすのとでは全くレベルが違う。それを多くの監督や助監督はシナリオを直しただけで
「オレが良くしてやった」
と自分の方がシナリオが書けるかのような錯覚をしてしまうのだ。同じように、企画意図だけ与えられて、その脚本家と監督がシナリオを書いていたとしたらどうなったか?たぶん、監督の方がより酷い脚本になっていたはず。でも、そんな勝負をすることはないから、直しをしただけで
「オレはシナリオが分かっているからなあ」
「自分は書ける」と勘違いしてしまうのだ。厳しいことを言えば、その友人もその一面がある。それでも書こうとしたことは評価するが、その勘違いが壁となり、彼は満足するシナリオが書けなかったのである。
(つづく)

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2014年09月16日 Posted byクロエ at 19:21 │Comments(0) │映画の話
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