「向日葵の丘」「マイアミの午前5時」が蘇る日はいつか?!

本日、余裕があったので、あるショーを見に行く。
感動!!!
うちに帰り、CDを聴きながらウイスキータイム。
今夜のアルバム。
マイフェイバリットは「マイアミ 午前5時」♫
青春が蘇る1曲!
次回はきっと聴ける!

2014年10月31日 Posted by クロエ at 23:03 │Comments(0) │監督日記
「向日葵の丘」監督日記 映画というのは本当に時間がかかる。

「向日葵」の撮影は4月〜5月だった。編集に3ヶ月。ポストプロダクション(その後の作業)が現在も続いている。これがテレビドラマだと、撮影、即編集、来月放送ということが多い。
ま、だからこそ、お手軽に作られねばならないし、凝ったものはできない。半年もすると、その番組を見たことさえ忘れてしまうことが多い(1年前の月曜9時のドラマと言われて、すぐにタイトルをいえる人は少ないでしょう?)
映画も、最近はお手軽に作っているものが多いが、それでも時間がかかる。だからこそ、30年前に見た映画でも今も忘れず覚えていることがある。歳月をかけてつくった作品は30年どころか、一生の思い出になったりする。
だが、一般の方の多くは「撮影終了」=映画完成と思いがち、そこからが本格作業であり、手を抜くと素晴らしい映像も、台無しになるのだが、それは意外と理解されていない。編集、カラコレ、音楽、効果音入れと半年に及ぶ作業をして、完成。ロケ地を久々に訪れると、地元の方によく言われる。
「監督。撮影終わってから何をしていたんですか? 早く映画が見たくてずっと待っていたのに.........海外にでも行っていたんですか?」
ずっと編集室にこもっていたなんて、想像できない。それどころか、散々、待たされたと、厳しく言われた。そんなときは、料理の話をする。お手軽に電子レンジで1分で食べられるレトルト食品もある。けど、本当においしい料理を作るなら、素材探し、食材を育てるところからスタートする。調理にも時間がかかり、その日の内に食べられないことも多い。でも、素材を選び、手間ひまかけて作った料理は感動があるし、思い出にさえなる。
映画も料理も同じ。簡単にできるものでは感動はない。すぐに忘れる。でも、時間をかけて丁寧に作ったものは、感動があり、一生忘れない。料理も映画も、時間をかけて作っても、食べるのも、見るのも一瞬。その意味でも同じなのだ。感動を作り出すにはにはお金も時間もかかるのだ。
という訳で、「向日葵の丘」も時間がかかる。映画館で公開されるのも、来年だ。
完成まで時間がかかるだけではなく、宣伝の準備をし、時間をかけて宣伝をして、映画の存在を知ってもらった上で、映画館で公開しなければ多くの人に見てもらうことはできない。なので、少し、気長に待って頂けると、ありがたい。

2014年10月30日 Posted by クロエ at 20:13 │Comments(0) │ポストプロダクション
「向日葵の丘」ー監督日記 完成は近いがまだまだ、やることはある。

「完成が近い」と書いたら、気の早い方から「完成おめでとうございます!」という連絡を何件か頂いた。別の方は「お祝いに一杯やりましょう!」とメールをくれた。が、まだ完成していない。
完成しても、映像をさらに確認。その後、細かな手直しをする。一息つく暇もなく、メイキングや予告編。ポスターチラシのデザイン。そしてパンフレットの構成。スチール写真選びをせねばならない。お祝いしよう!といってくれるのは嬉しいが、まだまだ、その余裕がない。
完成祝いどころか、「どこの映画館で上映されるのですか?」という連絡もある。さらに気の早い人は「自主上映は可能ですか?」と問い合わせが来る。公開は来年2015年。初夏を目標にして現在、映画館と交渉中。全国のシネコン40館ほどで公開予定。自主上映をしてもらえるのは、さらに1年以上先となる。
商業映画なので、個人やサークルによる上映は全ての映画館上映が終わってからになる。「スターウォーズⅦ」が来年公開されるが、その前に「自主上映は可能ですか?」と訊く人はいない。同様に今回の映画も映画館で上映するのが目的なので、その種の問い合わせはご容赦願いたい。
いずれにしても、映画の完全完成は来年。宣伝準備で今年いっぱいかかる。映画って本当に面倒。でも、一般の方の多くは撮影が終われば映画は完成と思いがち。撮影は映画製作の本当に一部に過ぎない。
進行状況は逐一、このFBとブログでお伝えするので、「公開はいつですか?」「***市では公開されますか?」という質問もお控え頂きたい。その辺は決まり次第、お知らせする。何より今は、よりよい作品にするための作業が最優先。応援頂けるとありがたい。必ず、最高の作品を作り上げます。
映画「向日葵の丘 1983年・夏」2015年全国の映画館でロードショー

2014年10月30日 Posted by クロエ at 20:11 │Comments(0) │ポストプロダクション
「向日葵の丘」あなたもきっと、この映画で、本当に大切なものを見つけるはず。

人はなぜ悲しむのか? 人はなぜ、苦しむのか?
人はなぜ、傷つけ合うのか? 人はなぜ、幸せになれないのか?
人生って一体、何なのだろう?
様々な思いを抱えて、1983年を旅する。
思い出の町を歩いてみる。懐かしい仲間と会ってみる。
そして、向日葵の丘に登ってみる.....。
そこにきっと、全ての答えが待っている。
「向日葵の丘ー1983年夏」
あなたもきっと、本当に大切なものを見つけるはず。
間もなく完成

2014年10月27日 Posted by クロエ at 13:32 │Comments(0) │ポストプロダクション
向日葵の丘ー監督日記 いよいよ完成間近!でも、公開は来年?

音楽と音。そしてアフレコ作業をするMAが終了した。先日。題字も出来上がり取り込んだ。あとは、本編の映像処理だけである。カラコレ(色合いや明るさを調整)して、映像の修正と加工だけだ。
しかし、完成してもすぐには公開できない。宣伝用のポスターやチラシをデザイン。作られねばならないし、映画館もかなり先まで予定が詰まっているので、公開は来年の初夏を目標としている。
もっと、スピーディに映画を公開できないか?と思うのだが、大手映画館には来年の秋までいっぱい!というところもある。つまり1年後だ。そんなに待ってはいられない。こうして映画館は旬の映画を倉庫に積み上げ、皆が忘れた頃に公開して、客が来ない!と嘆くのだ。
だから、できる限り早く上映してくれるところでやりたい。すでに映画館との交渉は始まっている。今回は全国40館ほどで大公開。僕の映画の中では最大規模。だが、いつものようにテレビCMや新聞の全面広告は打たない。地道な宣伝活動を続けて、口コミで広げる方法で行く。
そのためには多くの方々の応援が必要。ぜひぜひ、力を貸してほしい。が、今からブログ等でバンバン書いてもらっても、間もなく年が暮れる。来年になれば皆、完璧に忘れて、単なる思い出になってしまう。これが一番怖い。なので、年が明けてから宣伝を開始したい。
オリジナル音楽の入った映画「向日葵の丘」を改めて見て思う。本当に遺作になってもいい出来た。が、僕の力ではない。素晴らしい俳優と、素敵なスタッフ、そして、多くの市民俳優、さらには応援団のみなさんが同じ方向を向き、120%の力で作り上げたからこそ、完成した感動巨編なのだ。
今回も後半1時間は涙の連続。何度も感動で打ちのめされる。大人も子供も楽しめる作品になっている。でも、まだ、完成していない。あと一息。作業を続ける。

2014年10月26日 Posted by クロエ at 18:28 │Comments(0) │ポストプロダクション
「向日葵の丘」才能なんて存在しないが、センスは大切。センスがなければアートはできない。

今回、MA作業をしていて痛感したこと。作業をしてくれるオペレーターさん。そして音楽家さんのセンスの凄さだ。そのシーンの終わりかけで音楽入るのか? 終わった直後に音楽が入るのか? 1秒しか違わないのに、それで大きくイメージが変わる。彼らのその判断。本当に見事! 彼らにズバ抜けたセンスがあるからできるのだ。
だが、センスというのはむずかしい。「この場面いいなあ〜センスある!」と思う人がいれば「別になんてことないよ〜」という人もいる。その場面の良さを言葉で解説することはできない。それは感じるしかないこと。そして、これが正解という形もない。決まりや文法もない。
なので、5人のスタッフがいても、4人がセンスのない場合。「音楽はシーン終わりから出ればいいんじゃない?』といい、監督が認めれば、その場面はセンスのないダサい形となる。が、それに彼らは気づかない。
映画館で上映すると、センスのない観客は「別になんてことないけど?」と思うが、センスがある人は「このシーン。最悪!」と感じる。往々にしてセンスのない人間が映画を駄目にすることが多い。分かる人には分かってしまうのだ。
僕自身。鋭いセンスがあるかどうか?は分からないが、こだわる。だが、プロデュサーはなぜか?センスがない人が多く、センスのないアイディアを押し付けたがる習性がある。なので、編集やMAではよくぶつかり、何度か殺そうか?と思ったことがある。
本当にセンスを説明することはできない。が、アートをやるなら絶対に必要。以前に「才能」なんて存在しないという記事を書いたが、才能はないが、センスは存在する。センスは残念ながら努力で得ることはできない。生まれつきのもので、センスを磨くことはできても、センスのない人が修行しても見につくものではない。
アメリカ映画でも「この監督、センスあるな!」と思ったら、イタリア系だったりする。その辺、努力では勝てない。日本でも音楽や広告業をやっている人にはセンスある人がよくいるが、なぜか?映画界は少ない。
だが、先日のMAでのオペレーターさんは凄かった。おかげでもの凄くいい作品になった。音楽の入れ方だけではない。その場面で流れるいろんな音。どれを大きめにして、どれを低くするか? 音楽と台詞のボリュームの比率、これら全て感覚だけで決める。その人のセンスが問われる。単に台詞が聞き取れる音量にするのは簡単だが、音楽や音との兼ね合いはセンスが大事。
今回、一番むずかしかったのは、ラストカットのどこで音楽が流れるか?だった。それひとつで、観客が「素晴らしい!」と思うのか? 「あ、これで終りね?」と思うのか?が決まる。そのパターンを何週間も僕は考えた。が、そのアイディアより、音楽家さんのアイディアの方がさらによかった。そのポイントで音楽が始まれば涙が溢れるのに、そのあとでスタートすると涙はでない。そのくらいに違うのだ。
中学時代にラジオで「淀川長治のラジオ名画劇場」というのがあり、毎週聞いていたのだが、そのとき淀川さんが「一流のものを見なさい」とよく言っていた。当時は理由が分からなかったが、今は分かる。一流はセンスが違う。それは教科書では学べない。本物を見るしかない。安易なテレビドラマしか見ないと、センスは磨かれない。だから、淀川さんはビスコンティを見ろ、歌舞伎を見ろと言っていたのだ。
確かに、海外アーティストのライブとかいくと、そのセンスに驚愕することがある。そんなこと思い出した。

2014年10月26日 Posted by クロエ at 18:25 │Comments(0) │MA
向日葵の丘ー監督日記 MA作業で音楽を入れるとまた感動!

さて、音楽が完成し、SE(効果音)も用意され、MAスタジオで録音ということになった。事前に音楽やSEを映像に着けたものをまず見せてもらう。それをもう少し前にずらして!とか、そのSEは大き目の音で!とか、希望を伝えて、直してもらう。それで1ロールが済むと頭から流して録音。それを10ロールほど繰り返す。
初日に録音したとっとこ3人娘の歌も映像に着ける。アフレコしたものも貼付ける。編集時にもう50回以上も見た映像が、また新鮮に見えてくる。映画館で見ると、当たり前のように聞こえる。いろんな音。そのほとんどはこの段階で着ける。音があることで、世界観が出てくる。
蝉の声は夏を感じさせ、カラスの声は夕方を感じさせる、虫やカエルの声は夏の夜。それらを着けることで「1983年夏」の世界が広がって行く。今回も音楽が素晴らしい! まるでロンドフィルが演奏するような交響曲。ある映画音楽が今回のイメージだったが、音楽家さんが、そこからイメージ。同じ方向だが、全く別の曲を書いてくれた。それが映像に合わせて流れると、感無量だ。やはり、音楽はもう一人の主役。
結局、作業は2日かかって終了。本来ならここで映画は完成なのだが、まだ、映像の処理が終わっていない。カラコレが現在も進行中なのだ。それが終わり、その映像に、今回できた音(音楽とSE等)を着ければ、ようやく映画は完成となる。あと一息だ。

2014年10月26日 Posted by クロエ at 18:22 │Comments(0) │MA
「向日葵の丘」監督日記 エリカ役の百川春香さんのユニット!

MAに来てくれたヤング・エリカ役の百川さん。
アイドル・ユニットの青春トロピカル丸で活躍中。
そのCDをもらったのでサインしてもらった。ご紹介!
ぜひ、聴いてほしい。

2014年10月26日 Posted by クロエ at 18:21 │Comments(0) │MA
向日葵の丘ー監督日記 ラストシーンが駄目なら全てが終わる?
そんな訳で映画の音楽にはこだわる。先にも書いたように先輩監督たちの多くは映画に音楽をつけるとき、音楽家さんにこう注文する。「ここはちょっと間延びしているシーンだから、音楽を入れてほしい」「ここは何か悲しい曲を入れて、主人公の悲しみを伝えたい」「ここは何となく後ろで音楽が流れていればいいから」中には、音楽家に全てお任せという監督もいる。
で、僕の場合を紹介する。どちらが正しいということではない。監督にもいろんなタイプがあり、いろんな方法論がある。ただ、僕の場合。よく知る先輩監督たちとは少し違う。
まず、編集中から映像に既成の曲を当ててみる。映画やクラシックでイメージする曲を探し、それを貼付ける。そして編集が終わったら、物語の盛り上がるところは音楽も盛り上がるように曲も編集。出来る限り、シーン終わりに音楽も終わるように着ける。
通常は編集が全て完成してから、音楽をどうするか?考えるのだが、僕の場合は編集時からどこに音楽を流すを考えて、音楽が生きるような編集にする。というのも、編集時に音楽を考えないと、ぎちぎちに編集してしまい、音楽が入る余地がないほど詰めて編集してしまう。映像だけで見ていると間が持たないからといって詰めて行くのではなく、音楽を入れることでそのシーンが完結するところもあるのだ。
台詞のないシーンでも、俳優の出てこない風景カットでも、そこに音楽という第二の主役が登場することで、意味ある場面になることもある。映画の主人公は俳優だけではなく、音楽も、風景も、音も、ときとして主人公になるからだ。それを俳優の演技だけで、編集してしまうと、何だか、テレビのホームドラマのように、会話だけで成立している物語になってしまう。
そうやって編集を終え、仮の音楽を着けたら、音楽家さんと打ち合わせ。個々の音楽について説明する。仮に着けた音楽はあくまでも仮であり、それに似た曲を書いてほしいという意味ではない。方向性、テイスト、匂い、そんなものを伝えるためのものだ。で、音楽家さんはこう訊く「この金管楽器はなくてもいいですよね?」うん。仮の曲にはトランペットが入っていても、その楽器を使うことがリクエストではない。また、逆に「ここはピアノで」とお願いすることもある。
そして、音楽が始まる位置。終わる位置を説明。絶対にフェードアウトで終わらないようにお願い。それから大事なのは音(SE)との兼ね合いである。映像に映っていないが、犬の声「わおーーーーーーん」というのを入れて、一拍置いて、♫ダダーーーンと入るとかいうことも伝える。
「ゴッドファーザーPARTⅡ」のラストも、落ち葉がパラパラパラパラ.....と風に飛ばされて行く音があって、あのテーマソングが入るのがいい感じだったし、「PARTⅢ」では最後、マイケルの叫び声はオフになって、インターメッツォが流れるのが鳥肌ものだった。音との兼ね合いも大事。
ただ、本来、音楽家さんはそこまで指定されるとやりにくい。位置は指定するにしても、だいたいのイメージだけ伝えて、自由にやる方がやりがいがあると聞く。とはいえ、全然、イメージの違う曲を書いて来られても適わない。それだけで、全てが崩壊するということがある。
あるヤクザ映画。1曲だけクラシックを使っていて、とても重厚でいい感じなのに、他の場面はギター1本。映画のクオリティを数段下げていた。全編をクラシックにすればもっとよかったのに....と思ったことがあるが、どんなにがんばって撮影しても、音楽がマッチしないと、そこまでの苦労は全て水の泡となる。
もうひとつ大事なのは、音楽が始まるタイミング。これが決まると、見ていてもの凄く感動する。特にラストは大切。主人公、振り返る=>音楽が始まる=>見上げる空=>白くフェードアウト=>クレジット=>同時に、音楽盛り上がりメーンテーマ!これはひとつタイミングがズレてもアウト。センスの戦い。
海外では、コッポラが凄い。さすがイタリア系で父親が作曲家で指揮者だけのことはある。イーストウッドもうまい。が、どちらかというと、アメリカよりヨーロッパの方がセンスがいい。「太陽がいっぱい」のラストなんて本当に凄い。「セニョール、リプレー」と呼ばれて、アランドロンが立ち上がり、微笑む。そしてフレームアウト。ニーノロータの曲が盛り上がり、「FIN」の文字。もの凄いセンス。
日本では北野武監督。「HANA-BI」の終わり方は本当に鳥肌もの。逃亡犯のたけしさんと、岸本加世子。波打ち際のベンチに座る。音楽が流れ始める。カメラは引きになり、パーンして海を映す。音楽が終わり波の音だけが聞こえる。「これで終わるんだなー」と思っていると、ピストルの乾いた音が二発「パーンパーン!」驚いている少女の顔(北野さんの本当の娘)フェードアウトではなく、いきなり暗転。悲壮な音楽がゆっくりと始まり、クレジット。「参りましターーー!」という見事なエンディング。これは音楽と音の見事なコラボで初めてできる芸当なのだ。
そんなふうに、音楽もただ着ければいいという訳ではない。付け方で大感動したり、「だから何?」と不満しか残らない終わりになることもあり。大きな差が出るのだ。エンディングも、1度音楽が終わり、クレジットが始まり、エンディングテーマという形もあれば、その曲が続いたまま、クレジットに入ることもある。
「ストロベリーフィールズ」は映画の最後のシーンの途中で主題歌が流れ出し、そのままクレジットに入る。「青い青い空」では物語最後に流れる曲のまま、クレジットが始まる。「朝日のあたる家」も同じだ。
本当にラストシーンというのは大事で、それで外すと、そこまでどんなによくても、全てが駄目になり、印象が悪くなる。「新幹線大爆破」という映画。めちゃめちゃ面白いのに、ラストシーンの音楽の入り方が全てをぶちこわすセンスのなさ。それに対して「太陽を盗んだ男」は見事な幕切れ。音楽の入り方だけで、名作となるとさえ思える。
そんな感じで「向日葵の丘」も音楽を依頼。MA時にスタジオで映像と合わせる。音楽が素晴らしければ、映像×音楽=3倍にも4倍にもクオリティが上がる。その意味でも、MA作業は楽しみだ。

2014年10月26日 Posted by クロエ at 18:19 │Comments(0)
「向日葵の丘」監督日記ー映画音楽③ 物語の世界観を歌で例える?

前々回の①で少し書いたが、新作の物語を考えるとき、ストーリーも大切だが、まず、アイディアが決まったら、その作品の世界観を考える。空気というか、匂いというか、明るさや、雰囲気。それが映画にとって大切。
名作映画を思い出してみると分かるが、それぞれに個性がある。だが、それを言葉で表現するのは非常にむずかしい。そこでいつも、誰かの歌を選び、自分なりの指針とする。
「ストロベリーフィールズ」はカーペンターズの「青春の輝き」はかなくも美しい、10代で死んで行く少女たちの物語はまさに、あの歌のイメージ。エンディングの主題歌もその線で作ってもらった。
「青い青い空」はスプリングスティーンの「ハングリーハート」。ポップな歌で、みんなで歌える(コンサートでは必ずブルースが客に歌わせる。が、日本人には歌詞がむずかしく、東京公演では皆で合唱とはいかなかった。僕もサビ以外は歌えない!)でも、それでいてロックな歌。そのイメージでシナリオを書いた。
「朝日のあたる家」はもともとアニマルズの歌。でも、物語のイメージはスプリングスティーンの「ザ・リバー」。あの歌はまるで1本の映画のようなストーリーがあり、胸に突き刺さる。ひたむきに生きようとする若い青年。やがて結婚。でも、貧しさと不幸の悲しい物語。「朝日」の平田家がダブる。
そして今回の「向日葵の丘」これはストーンズの「タイム・ウエイツ・フォー・ノーワン」ネタばれするといけないので詳しく解説はしない。が、この歌をご存知の方でシナリオを読んでいれば「あ〜なるほどね〜!」と思うだろう。
映画は映像であり、音であり、音楽であり、芝居。でも、スタート時はシナリオという印刷物。活字で全てが表現されている。その段階で、映画の匂いやテイストを伝えるのはもの凄く難しい。また、自分の中でも、まだ物語の世界観が完全に出来上がっていないので、こんなふうに歌を決めて進める。というのが僕のやり方だ。
