映画ロケで地元の要望は絶対に聞かない理由?

僕の映画のロケ地は東京、大阪という都会ではない。そして有名な観光地ではない、小さな田舎町だ。そこの魅力を伝えつつ、青春物語を描く。巨大企業が出資する作品ではないので、地元の方からの多大な協力を頂く。いろんな意味で応援してもらうことで無事に映画が完成する。毎回、感謝の連続。
ただ、だからといって地元からの要望は聞かない。「今、売り出し中の**公園をぜひ、映画の中で使ってください」「***大根が地元の名産で、劇中で食べるシーンを入れてほしいのです」いろんな要望が来るが、いつもお断りする。「え? それって酷い!」と思うかもしれないが、感謝しているからこそ、聞いてはいけないのだ。今回はそんな話をしたい。
映画にはタイアップというものがあり、製作費の一部を出してもらうことで、或いは商品を大量にもらうことで、その商品を劇中に使うことがある。主演女優がCMに出ているジュース。劇中でも女優さんが飲む。そうすることでCMと同じ広告効果が出るからだ。或いは車、食品、時計、パソコン。ハリウッド映画ではコーラがスポンサーだと、ヒーローがコーラの巨大看板の前で戦ったりする。
でも、それらのシーンは細心の注意が必要。無理矢理、劇中で使ったら違和感が生まれ「あ、タイアップだな?」とお客に思われると最悪。感動が冷め、物語のリアリティが失われるからだ。地方で映画を撮るときも、同じような提案を受ける。「町が売り出し中の**公園でロケしてほしい。映画で紹介されれば大大的なアピールになる」。
もし、シナリオにその手の公園が出てくるシーンがあればいいだろう。が、そんなシーンがないこともある。と、地元から「どこかのシーンを公園に変更してほしい」といってくる。「食事のシーンは**大根にしてほしい」「どこかのシーンで地元の***せんべえを食べてほしい」
地元としてはいろいろと映画に協力、支援しているのだから、そのくらいのサービスはしてほしいと思うのだろう。製作サイドとしても「お世話になっている町の顔役**さんの会社が***せんべえ店だから、せめて、せんべえだけでも...」と考える。プロデュサーは監督を「そのくらいいいだろ?」と口説く。
だが、それが悪夢の始まり。多くの監督はそれを受け入れ、映画を作る。出来たものを観ると、地元にもの凄く気を使った劇映画ではなく、PR映画になっていることが多いのだ。「なぜ、ここで公園に行くの?」という展開。「なぜ、ここで大根を食べるの?」「何で大根が名産だということを、主人公が話す必要あるの?」「なんでせんべえが何度も出てくるの?」

業界人が観れば「あータイアップということね?」と思うが、一般の人には「????」になってしまう。結果、映画は盛り上がらず、単なる***市の観光PR映画になってしまう。感動も、涙も、笑いもなく。結局、その町以外では上映されずに終わる。都会で上映されても、話題にもならずひっそりと終わる。
まさに本末転倒。地元の方々が***をアピールしたい!映画で紹介すれば全国に伝えられる!と製作サイドにお願いしたのが裏目に出て、映画のクオリティ自体を落としてしまい、地元以外では誰も知らない映画として終わってしまう。この手の映画。実はかなりの数がある。それでも「町おこし」に映画!というのはブームで、同じ失敗が各地で続いている。
だからこそ、どんなにお世話になっている方でも、その手の要望を僕はお断りする。すでに完成したシナリオにあとから、あれこれ押し込むと物語が壊れてしまう。そして必要のない場所や食品を無理やり紹介すれば、映画はCM化していく。地元の方は画面に出ることがアピールすると思いがちだが、それが映画をダメにしてしまうのだ。
そして製作サイドも同じ。いい顔をしたくて「何とかしますよ」と言ってしまう。監督を説得する人もいるが、そこは心を鬼にして、断ることが大事。ただ、撮る側も地元を単なるロケ地と思って撮影するとダメ。地元の要望を拒否するからは、別の形で、その町の魅力があふれる映画にするのが責任だ。
僕の映画では、まずその町を知ること。好きになることからスタートする。まず、その町に何度も行って歩く。ロケ地で絶対に使わないところにも行く。地元の物を食べる。地元の人と話す。歴史も調べる。産業も勉強する。
そうやって、地元の春夏秋冬を経験し、本当にその町を好きになれば、特別にその町の食材を出したり、観光地でロケしなくても、町の魅力が自然と映画に反映される。監督だけではない。スタッフもキャストも町のことを知る。そうすれば、不思議なほど地元色が出る。それには時間も労力もかかる。が、そのことで素敵な映画ができる。観客は感動する。「この町に行ってみたい」と感じる。
町の魅力がアピールする。多くの人がその町の名前を覚え、訪ねてくる。監督が製作サイドがやるべきは、そこなのだ。***公園を劇中で出すことより、その町を理解し、愛することで、画面に滲み出る地元愛こそが観客を魅了する。ただ、それはなかなか分かりにくいことであり、地元も製作サイドもそれに気づかず、両者ともに落胆する結末になることが多い。
大切なのはコマーショアリズムではなく、地元愛なのだ。それが映画を輝かせ、結果として地元のアピールに繋がる。同じことは他の商売にも言えるだろう。直接的な宣伝やPRはもはや通用しない。いくらテレビでCMを打っても、最初だけ。時間はかかるが、商品、製品への愛がなければ、今の時代。多くの人には届かないと思える。

「向日葵の丘」が公開されたら、観に行こう!と思っている方へのお願い。
「向日葵の丘」現代の映画の役割。娯楽だけではなく、大切なことを伝えること。
「向日葵の丘」は参加者全員の映画。映画館で感動を分かち合ってほしい。そのために必要なこととは?
「向日葵の丘」は参加者全員の映画。あなたの物語。行動してほしい!
「向日葵の丘」希望は必ずある。諦めてはいけない。
「向日葵の丘」「マネーの虎」を見て痛感したこと。商売も映画も「才能」ではない。
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2015年03月23日 Posted byクロエ at 20:20 │Comments(0) │MyOption
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