マイ眼鏡ヒストリー

一番奥。2005年の「ストロベリーフィールズ」のときに作った眼鏡。当時はレンズまわりにフレームがなく、直接レンズにノズルが着いたタイプが流行。でも、「ストロベリー」のスチールでこれをかけているものはほとんどない。というのは、10年前はまだ若く(?)コンタクトレンズが使えたからだ。
奥から2番目が「青い青い空」のとき。視力が下がり作った。おまけに老眼が強くなり、コンタクトが無理になる。この眼鏡はその後、「朝日」の撮影まで使う。が、完成後。大阪公開のときにフレームが折れて、ご覧の通り。
その状態で舞台に立つのもはずかしく、大阪の三番街で「即日仕上げ」で一番安いのを作ったのが奥から3番目。「向日葵」撮影もこの眼鏡で。よく見ると、白いコースターを敷いた側のレンズがかけている。安物だからかなあ? 一番使用期間が短かった。
その眼鏡を作ったときはすでに左目が見えず。眼鏡やさんに「片方はガラスでいいですよ? 半額にして!」と頼んだが、セットでないと売れないと言われ、見えない目の方は以前の眼鏡と同じ度数にして作った。
今年夏の左目の手術後に4番目(一番手前)を作った。手術後は視力も変わるので両方とも測り直して、フレームも丈夫なものに。。。眼鏡に歴史あり?

「向日葵の丘」その昔、僕がトラブルメーカーと呼ばれた理由?
祝・僕の前作「朝日のあたる家」バリ島での上映会が決定した!
「向日葵の丘」血がドロドロと言われて....納豆を食べる。
「向日葵の丘」今宵は 中森明菜を聴きながら、ジムビーンズ。
漫画「漂流教室」を41年振りに読んで。 大人たちが時代を謳歌したツケを未来にまわしたことで、苦闘する子供たちの物語。
「向日葵の丘」41年振りに読んだ「漂流教室」衝撃だった。これは今の日本か?
祝・僕の前作「朝日のあたる家」バリ島での上映会が決定した!
「向日葵の丘」血がドロドロと言われて....納豆を食べる。
「向日葵の丘」今宵は 中森明菜を聴きながら、ジムビーンズ。
漫画「漂流教室」を41年振りに読んで。 大人たちが時代を謳歌したツケを未来にまわしたことで、苦闘する子供たちの物語。
「向日葵の丘」41年振りに読んだ「漂流教室」衝撃だった。これは今の日本か?
2014年12月19日 Posted byクロエ at 20:13 │Comments(0) │監督日記
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。