「向日葵の丘」夢見る力シリーズ=「才能がやっていける!」と断言していた友人の末路?



高校卒業後、映画監督を目指して人生をスタートさせた。同じ歳で、同じ夢を持ち、同じように「スターウォーズ」や「スタートレック」が好きな友人がいた。よく酒を飲みながら、将来について語り合った。

当時の僕は不安だらけだった。平凡なサラリーマン家庭で育ち、親戚に芸能人がいる訳でもなく、身内に芸術家がいる訳でもない、そんな、どこにでもいる18歳が映画監督になんてなれるのか? おまけに当時はもう映画会社での新人募集はない。黒澤明監督らの時代は映画会社に入り、10年間助監督をして修行。チャンスをもらって監督になったのだが、映画産業はすでに斜陽。映画会社に所属する社員監督はもう数人。募集は何年も前からなかった。

そんな中でいかにして、映画監督になり、映画を作るか? 僕らは悩んでいた。いや、悩むというより、絶望的な状態に直面しているというのが正解だった。それでも、映画好きの友人たちは、フリー助監督になる道を選んだり(といって、昔のように10年勤めたからと監督になるシステムはない。一生、助監督で終わる可能性も高い)或いは、自主映画を作って注目を浴びてプロデビューしようとする連中もいた。

いかにして、監督になるか? は重要なことだが、次第に僕は別のことが気になり出した。監督になるのも大変だが、もし、なったとしても、多くの観客に感動を与える作品が作れるだろうか?ということ。友人の多くは、そんな疑問はないようで「俺に1億円出せば、最高の映画を作ってやるよ!」という自信満々な奴が多かった。

が、どんな世界でも、どんな実力があっても、いきなり名作を作ることはできない。ピアニストなら子供頃から厳しい練習を積む。小説家だって、学生時代から何本も書き続け、何度も賞に応募。出版社に通い、デビューする。俳優だって、料理人だって、職人だって同じ。修行や練習が大切。映画監督も同じだろう。いきなり新人が1億円で映画を撮ったとしても、まともな作品ができるはずがない。

ある友人は言う「だからこそ、10年間。助監督として勉強して監督になるんだよ」でも、それも違うと思えた。助監督業。実は僕も経験していた。が、あるとき、業界の先輩に言われた。

「太田は何になりたいの? もし、カメラマンとか照明とか技術部が志望なら、遊んでいちゃいけない。バンバン仕事して技術を学ばなきゃ。でも、監督なりたいなら、仕事していちゃいけない。いっぱい遊んで、いろんなことを経験しなきゃ駄目だよ」

当時、僕は19歳。全ての意味は理解してなかった。が、次第に分かってくる。助監督業は「映画の作り方」は学べるが、「物語を作る」ことは学べないのだ。特に僕の場合は、脚本も自分で書いて監督したい!という思いがあったので、まさに先輩の言う通りだったのだ。いろんなことを経験してこそ、それらの世界が描ける。いろんな人と出会ってこそ、それらの人を描ける。ずっと撮影現場にいては、狭い世界で暮らすことになり、世間や時代が見えなくなるということ。

先輩の言葉を実感として理解したのは、21歳になってからだ。何本かの自主映画(8ミリ)を作り、気づいた。僕が物語を作るバックボーンは高校生活の記憶からだ。それは3年の経験でしかない。作家の今東光がいうように作品はウンコ(今さんは糞と呼んだが)。それを出すためには食べなければならない。

が、高校卒業以来、自主映画をやっていたので、僕が詳しいのは自主映画界だけ。高校時代のネタを使い果たしたら、それを背景に映画を作るしかない。実際、自主映画では自主映画を描くものが多かったが、そんなものを何本も作ることはできない。すぐにネタが尽きる。若くして映画監督になったとしても、手持ちのカードがすぐなくなり、作品を作れなくなるのだ。友人にどう思うか?訊いた。彼はいう。

「才能があればやっていけるんじゃないか? 手塚治虫だって、若くしてデビューしたけど、あれだけ多くの作品を書いたんだ。俺にもそんな才能があるということを信じるしかないんじゃないか? そう、才能があればやっていける」

しかし、僕はその頃から「才能」なんてものが本当に存在するのか?と疑問を持っていた。そのことはこのFBで以前に詳しく書いた。溢れるように、面白い物語が思いついたり。何の努力も経験もなく、ハラハラドキドキする映画が作れるなんてことはない。血のにじむような努力がないと、何事もできない。その努力を知らない人が、自分にはできないことをする人を見たとき「あの人は才能がある」といって理解しようとする。そのための便利な言葉が「才能」だと思える。

でも、当時は、「才能」なんて存在しない!というほどの確信はなかった。大人からも、映画人からも「お前、才能あるのか? 才能がないと映画監督にはなれないぞ?」とよく言われていた。ただ、手塚治虫や黒澤明のことを調べると、もの凄い努力をしている。才能があるから名作を作れたのではなく、常人を超えた努力があって作品を生み出している。そしてジョンレノンの言葉「才能とは99%の努力と1%のひらめきである」チャップリンも同じことをいっている。

では、僕に今、必要なものは何か? そう考えて、昔から憧れていたアメリカ留学を決めた。海外で暮らすことでいろんなことが見えてくるはず。異文化の、言葉の違う国では、数々の経験ができるはずだ。以前、先輩にいわれたことを実践した。「監督になるなら、いっぱい遊ばないといけない」遊びではないが、海外で生活することにした。友人にその選択を話した。彼はこういう。

「そうか、がんばれよ。俺は日本でがんばる。才能があれば、やっていけるはずだ。将来、一緒に映画を撮ろう。『トワイライトゾーン』のようなオムニバス映画を一緒に作ろう。俺は俺に才能があると信じている」

それから30年。僕は4本目の劇場用映画を作っている。友人は何年か前に東京を引き払い、古里へ戻った。結局、監督になることはなかった。それを聞いた別の友人がいう。「結局、あいつは才能がなかったんだよ」と。でも、それは違う。彼は才能がないのではなく、「才能があるから俺はやっていける」と思い込み、努力しなかったことが夢破れた原因だったのだ。

僕は結局、若くして監督デビューはしなかった。43歳になっていた。でも、「才能」なんてものを信じなかったことが正解だと思える。どんな仕事でも同じだろう。料理人でも、職人でも、ピアニストでも、漫画家でも。努力が必要。特にクリエーターなら、それプラス経験値が大切なのだ。

映画は人や世の中を描く仕事。その人や世の中を経験せずに、それらが描ける訳がない。20歳頃はそれを明確に伝えることはできなかったが、今はいえる。「才能」なんて存在しない。クリエーターの世界では努力と経験が大事。ネットで世間を知ったつもりになってはいけない。自身が経験すること。それが重要だ。若い人にはそう伝えたい。





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2014年10月09日 Posted byクロエ at 13:21 │Comments(0)監督日記

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