「向日葵の丘」脚本家デビューには最低5年かかる?スタートは30歳過ぎ。こちらも過酷な仕事。




なかなか、データの書き出しが終わらないので、もう1本記事を書く。22歳までにブレイクしないと契約更新できない女優業とは反対に、30歳を超えないと仕事をスタートできない人たちの話だ。

監督した映画が公開になるとき、僕は独自に宣伝活動をする。制作会社が本当に何もしないところが多いので、自分なりに動かねばならないのだ。そんなとき、よくお世話になったのが、映画学校で教える友人たち。彼らは脚本家であり、監督でもあるのだけど、副業で学校でも教えている。そのクラスにいって、映画の宣伝をさせてもらう。

ま、「笑っていいとも」のテレフォンショッキングのコーナーのようなものだと思ってほしい。学校側にはゲストを呼んで撮影現場の話をしてもらうという名目なので、教室では学べないそんな話もしつつ、映画の宣伝をさせてもらう。昨年、お邪魔した学校の生徒は皆、高校を卒業して、脚本家を目指すべく都内のその学校で学んでいる。友人の講師もプロで現役のシナリオライターだ。

そして毎回驚くことがある。ほとんどの生徒が学校を卒業すれば、プロになれると思っていること。この種の専門学校はシナリオの書き方を教えてくれるだけ。自分が書いたものを講師が指導はしてくれるが、それでプロになれる訳ではない。が、彼らは特に足掻く様子もなく、高校時代の延長のような感じで授業を受けていた。

講師の友人は型破りで「こんな学校は早く辞めて、パチンコ屋で働いた方が勉強になる」というが、本当にその通りだ。シナリオの書き方は学べるが、脚本家なんて教わって成れるものではない。そして、書く中身。高校を出て専門学校に通う経験しかしてない子たちが書けるものはまだないのだ。


なので、いつもそんな話をする。物語というと、あれこれ想像して書くものだと思いがちだが、実は違う。そうやってかけないこともないが、それでは読んでも感じるものがない。自分なりにいろんな経験をし、学び、蓄積し、分析し、見つめて、それが自分のものになり。物語として書くことができる。

だから、友人のいうようにパチンコ屋で働いた方がいろんな客を見ることができるし、いろんな人生と関わりあい、経験値が上がるのだ。が、生徒の多くは普通に高校生活を送り、映画ファンで、専門学校に来ている。何の経験もなく、これまでに見た映画の寄せ集めのようなシナリオしか書けない。それは仕方がないことなので、厳しくは言わないが、大切なのはこれ。「学校を出ても脚本家にはなれない!」

それどころか、その後、どんなにがんばってもプロになるには5年はかかるということ。それまでアルバイトをし、貧しい生活の中で、金にはならないシナリオを書き続けながら営業も続けることができるか?が問題なのだ。友人の講師も毎回、同じことをいっているらしいが、生徒たちにはどうもピンと来ないようだ。大学を出て、仕事を探し、会社員になる。というパターンでしか想像できないようで、募集されない仕事というのが、どんなものか?分からないようである。

「脚本家、募集」なんて広告は出ないし、映画会社も告知しない。働きながらシナリオ大賞に応募するくらいしか考えつかない。どうすればいいのか? これをすればライターになれる!という方法はない。以前、このFBにも書いたが大手映画会社はシナリオを持ち込んでも読んではくれない。「そのようなことは致しておりません」と返事する。が、「絶対になる!」と決めて、努力を続ければ、どんな職業にでもなれるものだと、僕は信じる。

その経緯のことはまた別の機会に書きたいが、それでも最低でも5年はかかる。講師をする友人に訊いたら、大学を卒業。田舎から出てきて、シナリオライターになり、初ギャラをもらうまでに5年かかったという。30歳を超えていたという。僕もアメリカから帰国して、ほぼ5年。31歳だった。もっとかかった友人もいる。その間、耐え続けられるか? それも5年我慢すればいいのではなく、その間戦いが続く、生活のための仕事をした上に、シナリオを書き続けないならない。でないと実力も着かない。

そして、1本目を書いたからと2本、3本と依頼が来る訳ではない。そして、勉強し、いろんなことを吸収し続けないと、新しい物語は書けない。脚本家もなかなか大変な仕事である。俳優業は10代からスタートできる。が、脚本は30前後まで努力しないとスタートできない仕事なのだろう。だからといって、年取るまで出来るという保証もなく。依頼がなくなれば失業。女優業も厳しいが、脚本家の仕事も過酷である。




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2014年08月28日 Posted byクロエ at 10:47 │Comments(0)監督日記

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